おいしい料理と祝福
創世記 27:18〜29
「私はここにいる。息子よ、お前は誰なのだ」(聖書協会共同訳)
私は誰か?
私は私だ。
長男のエサウです
私はエサウだと語って祝福を得たとしても、それが本当の祝福か?
なりすまし受験
主がわたしのために計らってくださったからです
神の名を語って取り繕う行為
見破ることができなかった
リベカを呼んで確認しなかったのか
呼んでも結果は同じだっただろうが
これほど重要なことなら、もっと慎重に事を進めるべき
多くの民がお前に仕え
全員平等の思想ではない
お前を呪う者は呪われ、お前を祝福する者は祝福されるように
祝福される(聖書協会共同訳)
何ともはやなイサク一家である。父イサクは長男エサウに子孫の今後を託すと言うのであれば、エサウに対して族長として相応しい人格教育をなぜ実施しなかったのか? 母リベカは「兄が弟に仕えるようになる」という神の思し召しを聞いたのであれば、夫イサクに打ち明け、子どもの育て方について、なぜ十分話し合わなかったのか? 祖父アブラハムに、なぜ相談しなかったのか? エサウは自分が長男であるのに、族長の務めの重要性についてなぜ認識できなかったのか? ヤコブは長子の特権を兄から譲り受けたという重大なことをなぜ内緒にしていたのか? 神からの特別の祝福を前にして、「自分がエサウです」と、なぜ堂々と嘘をつけたのか? 等々謎と欺瞞が渦巻く家族である。
そんな何ともはやな家族にも関わらず、神さまの計画が見事に成就したのである。個々を見るとき決して美しいパーツでも無く、美しいストーリーではないが、それでも、そういう何ともはやな家族を用いて、神さまの計画が成就したのである。欠けの多い私たちかも知れないが、神の計画が働く教会=家族でありたい。
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