ルカ 24:13〜35
エマオの途上で
イエス御自身が近づいてきて
イエスさま御自身が近づいて来られる
一緒に歩き始められた
イエスさまは私たちと一緒に歩かれる
イエスさまだとは分からなくても
二人の目は遮られていて
私たちの目は真実を見ていないかもしれない
バイアス、常に何かに遮られている
どんなことですか
私たちはどんなことかを自分の口で説明しなければならない
十字架と復活の出来事をどう説明するか?
預言者でした
過去の事柄としている
預言者と理解している
望みをかけていました
望みがついえた今の状況
イエスキリストは生きておられると告げたと言うのです
信用していない
十字架の事実から弟子たちは絶望を受け取った
本来は爆発的な喜びを受け取るべきもの
聖書全体に書かれてあることを理解していないから
聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された
聖書の解き明かしを受けた時、心が燃えた
しかし、イエスとは分からなかった
イエスだと分かった
聖書全体の説教を聞いても分からなかった
最後の晩餐のときにはこの弟子たちはいなかった
最後の晩餐のイエスの所作を思い出したから分かったのではない
イエスとともに食卓につき、イエスが割かれるパンを食する時、分かる
聖餐式をセミオープンでやることの重要性
パンを渡したとき、手に釘跡があるのに気づいた?
無理に引き止めたので
イエスさまを無理に引き止めることが必要
このとき、イエスさまは家に入られる
時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると
方向転換
エルサレムへ
失望落胆から希望へ
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